大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和45年(ネ)3395号 判決 1972年11月15日

控訴人 東商信用金庫

右訴訟代理人弁護士 安藤章

被控訴人 野崎岩男

右訴訟代理人弁護士 塙悟

主文

本件控訴を棄却する。

但し、原判決主文第一項を次のように改める。控訴人は被控訴人に対し金一五〇万円および内金一三〇万円に対し昭和四四年二月一三日以降右完済まで年六分、内金二〇万円に対し右同日以降右完済まで年五分六厘の各割合による金員を支払え。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

一、控訴人は「原判決中控訴人敗訴の部分を取消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴人は控訴棄却の判決を求め、当審において請求を、金一五〇万円および内金一三〇万円に対し昭和四四年二月一三日以降右完済まで年六分、内金二〇万円に対し右同日以降右完済まで年五分六厘の各割合による金員の支払を求める限度に減縮した。

二、当事者双方の事実上の主張・証拠の提出、援用、認否は次に附加するほか原判決事実摘示(原判決二枚目裏二行目から七枚目表二行目まで)と同一である(但し、二枚目裏末行から三枚目表初行にかけて「昭和四二年一一月一六日」とあるを「本件訴状送達の日の翌日である昭和四四年二月一三日」と訂正し、同三行目中の「利息ならびに」を削除する。)からこれをこゝに引用する。

(控訴人の主張)

(一)仮りに本件小切手三通が偽造されたものであるとしても、被控訴人はそのうちの一通(乙第五号証)の小切手金を受領しているのであるから、本件小切手三通について偽造小切手であると主張して右各小切手支払による当座預金払出の効果を否定することは禁反言の原則に反し許されない。

(二)次に本件小切手三通のうちの一通は他店に振込まれて交換決済され、その余の二通は直接控訴人の本店で店頭呈示されたものであるが、右各小切手は、いずれも控訴人の本店が預金者に交付した用紙が使用され、小切手番号にも欠番はなく、かつ、交付小切手用紙紛失等の届出もないことから当座預金係においては特に偽造の予断を抱かず、預金残高を確認のうえ印鑑簿の届出印影と各小切手の印影を照合し相違ないものと認めて支払をしたものであるところ、被控訴人から交付小切手用紙の紛失等の届出があれば、控訴人の支払事務担当者においてさらに精密な方法で照合をなすことができ、被控訴人の被害を未然に防止し得た筈である。したがって、仮りに控訴人の担当者に過失ありとされるとしても、被控訴人は交付小切手用紙を第三者に交付しその旨の届出をしないのであるから過失があり、控訴人の責任および金額を定めるにつき右過失は斟酌されるべきである。

(被控訴人の主張)

(一)右(一)の事実は否認する。

(二)被控訴人が小切手用紙を第三者に交付したとしても、印鑑届出をした印章は自ら所持していたのであり、偽造小切手が振出されることまで予想して届出をすることを義務づけられることは、預金者に難きを強いるものである。

ことに、本件小切手のうち二通は当座勘定取引の成立したその日の午後三時過ぎ(閉店後)に呈示されたものであり、他の一通もその翌々日に支払われているのであって、かゝる不自然な支払呈示については控訴人として当然注意を払うべきであったのにこれを怠ったのであるから、その過失を被控訴人に転嫁することは到底許されない。

(証拠関係)<省略>

理由

一、当裁判所も被控訴人が控訴人に対し被控訴人主張の各預金をしたものと判断する。その理由は、原判決説示の理由

(原判決八枚目表五行目から末行まで)と同一であるからこれを引用する。

よって、控訴人の各抗弁について次項以下に判断する。

二、まず控訴人は本件当座預金は払出済であるという。

<証拠>を綜合すると、控訴人は被控訴人振出名義の三通の小切手(乙第五ないし第七号証)支払により昭和四二年一一月一六日から一八日にかけて合計金一三〇万円の本件当座預金の払出をしていることが認められる。しかしながら、原審証人藤野時雄の証言により本件当座預金契約が締結される際、被控訴人から差入れられた引受書であることの認められる乙第三号証中の印影と乙第五ないし第七号証の各小切手中の振出人の印影とが同一の印顆によって顕出されたものでないことは当事者間に争いがなく、このことと、原審および当審証人野本敏郎の証言によると、右各小切手は訴外野本敏郎が偽造した被控訴人名義の印章を用いて作成した偽造の小切手であること明らかであるから、右各小切手の支払をもって直ちにその効果が被控訴人に帰属し本件当座預金が払出されたものとすることはできない。

しかるところ、控訴人は本件当座預金契約における特約ないし商慣習によって偽造小切手の支払についても免責されると主張する。そして、控訴人が本件小切手の印影と届出印鑑とを照合して相違ないものと認めてその支払をしたことは原審および当審証人相原啓の各証言によって認められ、成立に争いない乙第二号証(当座勘定約定書)によれば、本件当座預金契約において控訴人主張の免責の特約がなされていることが認められる。しかしながら、かゝる免責の約款は小切手の支払担当者において印影の照合事務につき必要な注意義務が尽されていることが前提とされるものと解すべきであるから、本件各小切手の支払に際しての右照合事務処理について控訴人に過失がなかったかどうかについて検討する。

(一)まず、乙第五ないし第七号証中の振出人の印影と前掲乙第三号証中の印影(被控訴人届出印鑑)とを対照してみると、届出印鑑の岩という文字のうち口に当る部分が出となっているのに各小切手のそれはとなっている点や丸枠内の空白部分の形状において両者は異なるなどの相違点が肉眼によっても識別することが困難ではない。

(二)<証拠>を綜合すると、本件当座預金契約がなされ、本件各小切手の支払のなされるまでの経過として次の事実を認めることができ、右認定を左右できる証拠はない(原審証人藤野時雄の証言中右認定に反する部分は措信しない。)。即ち、

控訴人の本店の預金担当代理である藤野時雄は昭和四二年一一月一五日訴外野本敏郎(さきに控訴人本店に当座預金口座をもっていたが一・二日で不渡を出して銀行取引停止処分を受けており右藤野とも顔見知りであった。)から被控訴人のために当座預金口座を開設してほしいとの申出を受けた。藤野は野本の持参してきたのは現金一〇〇万円、金額五〇万円の小切手(いずれも被控訴人から預かったもの)であったので、小切手が交換決済されないうちは口座を開設するわけにはいかないとして右現金等は野本敏郎名義で預けさせその旨の預証を交付した。ところが、その日のうちに被控訴人から右の預証は被控訴人名義になっていないという申出があり、藤野は右の預証をさらに預かりその旨の預証を被控訴人に交付した。そして、その翌一六日藤野は控訴人の本店営業室内において野本および被控訴人と応接し、当座預金契約を結び、被控訴人から二度目の預証の返還を受けて金二〇万円は定期預金とし、残金一三〇万円を当座預金の入金扱いとした。ところが、その日の午後のうちに、野本から裏面に同人の署名押印をした被控訴人振出名義金額五〇万円の小切手(乙第五号証)が控訴人の本店で店頭呈示され、控訴人の本店当座預金係の相原啓は前記届出印鑑との印影照合をし上司である藤野時雄の決裁を求めたところ、野本は要注意人物であるからもう一度照合をするよう命ぜられた。相原も野本が前述のように取引停止処分を受けていることを知っておって、そもそも野本の申出による口座開設にすら気が進まなかったのであるが、命に従い照合を再度したけれども、その方法はいずれも竝べて肉眼をもって照合するという方法で両者の相違を発見せず呈示された小切手の支払をし、その後も被控訴人振出名義の小切手二通(乙第六、第七号証)についても同様な照合方法により相違ないものと認めて支払をした。

(三)以上の各事実が認められるところ、本件各小切手の印影と届出印鑑との前記の相異は金融機関の業務担当者として印影照合事務に習熟しておるべきものからすれば肉眼をもって竝べて見くらべるという方法でも発見することは困難ではないとみられるのみならず、本件当座預金の契約時および乙第五号証の小切手支払時における前認定の事情は極めて異常であり、控訴人の事務担当者としては通常の場合より一層慎重に印影照合を行うべきであったし現に控訴人の事務担当者もそうしなければならないという認識をもっていたのであるから、印影の相違を発見することは右のような慎重な事務処理がなされておればなおさら容易であったというべきである。そうすれば、その後に支払要求のされた他の二通の本件小切手についても印影の相違を発見することが困難でなかったであろう。しかるに、本件において印影の相違を発見しなかったのは事務処理上の注意義務を尽さなかったことによるものというのほかはない。

控訴人は、控訴人本店が被控訴人に交付した用紙が使用されており、小切手番号にも欠番はなく、交付小切手用紙の紛失等の届出もなかったから、控訴人の事務担当者において特に偽造の予断を抱かなかったのであり、かゝる状態での照会によっては前述の印影の相違は発見できるものではないというけれども、本件においては前述のとおり異常な状態で特に慎重さを要求される場合であったから控訴人主張のような事情は控訴人の事務担当者の過失を否定する理由にはならない。

よって、前記特約あるの故をもって本件三通の小切手支払をもってその効果を被控訴人に帰せしめることはできず、また偽造小切手の支払について支払担当者が免責されるものとされる慣習も、特約ある場合と同じく印影の照合について金融機関として尽くすべき注意義務が尽くされたときに認められるものであるから、控訴人の抗弁は採用できない。

三、次に、控訴人は被控訴人が本件小切手のうち一通の小切手金を受領しているとの事実を前提として、控訴人主張の預金払出の効果を否定することは禁反言の原則に反し許されない旨抗弁するけれども、右前提事実は、この点に関する原審および当審証人野本敏郎の各証言は容易に措信できず、他にこれを認定するに足る証拠はないから、右抗弁は採用できない。

四、控訴人はさらに、右免責の主張が認められないとしても、被控訴人は控訴人から交付を受けた小切手用紙を他に交付し、右用紙により本件三通の小切手が作成され、控訴人に紛失等の届出をしなかった過失があり、過失相殺されるべきであると主張するが、控訴人主張の右事実を斟酌してもなお控訴人の本件各小切手支払には過失があり、右支払による本件預金払出の効果を被控訴人に帰せしめることができない以上控訴人の過失による相殺を認めるべき理由はないから右抗弁も採用しない。

五、してみると、被控訴人の主張する解約通知が被控訴人主張の日に控訴人に到達したことは当事者間に争いなく、控訴人において本件当座預金の支払を拒むのみならず、定期預金についても被控訴人が預金者であることを争っている本件においては、被控訴人は控訴人に対し、本件各預金元本ならびにこれに対する本件訴状送達の日の翌日たる昭和四四年二月一三日以降右完済まで商事法定利率である年六分の割合による遅延損害金の支払を求める権利があり、右の限度内における本訴請求は理由がある。

六、よって、これを認容した原判決は正当であって、本件控訴は理由がなくこれを棄却すべきであるが、当審において、被控訴人は請求を減縮したのでこれを明らかならしめるため原判決主文第一項は改めることとし、訴訟費用につき民事訴訟法第九五条第八九条により主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 谷口茂栄 裁判官 綿引末男 宍戸清七)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例